地域コーディネーター

2023年11月17日

一度やると決めたら全力で楽しむ

今回ご紹介する地域コーディネーターは、山形県鶴岡市の「合同会社 work life shift(ワークライフシフト)」の代表、伊藤麻衣子さんです。学生のキャリア教育に関わりながら、インターンシップのコーディネーターとしても活動しています。学生のサポートだけではなく、企業の組織開発や採用サポートなども行っています。
伊藤さんは「行動に移すまで散々悩むけれど、一度決めてしまったら楽しんでやってみることが、基本的なマインドですね」と話します。伊藤さんのこれまでの経験から、学生に贈りたいメッセージがたくさん見えてきました。

「人づくり」を目指して、大手企業からNPOへ転職

名古屋市出身の伊藤さんは、静岡県内の大学を卒業後、東京に本社を置く大手電機メーカーに就職しました。

「海外との取引も多く、扱う金額規模も大きい、いわゆる花形部署でした。留学で身につけた英語力を生かせる仕事だったので、とても楽しかったですね。でも、すごく忙しくて働きづくめの毎日でした。周りの同僚たちが疲弊していく姿を見て『何のために働くの?私は本当にこういう仕事がしたかったの?』と考えるようになりました。本当にしたいことは、自分がやりたいことで世の中のためになる仕事だと思ったんです」

その頃、伊藤さんは「NPO法人ETIC.」の存在を知りました。ETIC.は、社会の未来をつくる⼈を育むことを目的に活動する認定NPO法⼈です。実践型インターンシップや起業支援プログラムなどの事業を手がけ、プロジェクト参加者がプロジェクトを起こしたり、起業するなど多くの実績があることを知りました。

「これは、私がやらなくちゃ!」と思い転職を決断します。大手企業を辞めるのはもったいない、という周りの声もありましたが、自分の意思を大事にしました。

結婚、ご主人の転勤によりアメリカへ

ETIC.で働いていた伊藤さんは結婚し、ご主人の転勤によりアメリカのテキサス州で約7年暮らすことになりました。ビザの関係で仕事ができなかったため、ボランティアをしながら過ごしたそうです。

「ご主人の都合で、アメリカに“連れて来られた”奥さんがたくさんいたんです。本国では医者とか、バリバリ働いていた人も、言葉や宗教が違うことで不安になり家に閉じこもるようになっていました。まるで手足をもがれたように、自分のアイデンティティを失ってしまう。そんな人たちがたくさんいたんです。そのような人たちを近所の教会のおばちゃまたちが週に一度、託児付きのカルチャースクールを開いて助けていました。英語を学んだり、アメリカンキルトを習ったり、たった数時間でも自分の時間を持ててホッとできる場でした。コミュニティを作ることって大切だなと思いましたね」

アメリカで過ごしたのち、ご主人が山形県鶴岡市の会社に転職することを決めたため、2014年8月鶴岡に転入しました。知らない土地での生活に不安もありましたが、行ってみることにしたそうです。鶴岡市に転入後は、まちづくりを専門とする「YAMAGATA DESIGN(ヤマガタデザイン)株式会社」に勤務します。その経験を経て、2019年に「合同会社 Work Life Shift(ワークライフシフト)」を独立起業しました。

ワークライフシフトでは、学生向けの就職活動支援と、企業向けの採用支援、女性の働き方改革に取り組む企業をサポートしています。また、近頃は全国の学生向けにオンラインで仕事体験ができるプロジェクト「シゴトリップ」に地域コーディネーターとして参加しています。

学生にも企業にもメリットのある実践型プログラムを

このような仕事は大変ではありますが、インターンシップ卒業生の国内外での活躍を見聞きする度、やりがいを強く感じるそうです。

「インターンに来る学生さんって、本当に優秀でいい子が多いんです。その子たちにとって最良の経験にするために力を注いでいます。でも実は、受け入れる側の企業は大変な状況です。若者が減少しているなかで、人材育成や人材の定着など、どんな風に若い子を企業に迎え入れていいか分からずにいるんです」

学生支援だけではなく、企業側をサポートし、インターンシップ受け入れの土台を整えています。伊藤さんのこれまでの多様な経験をもとに、人が育つことに重きをおいて活動をしているそうです。

地域には、インターンシップを積極的に受け入れたいと熱意を持つ企業・社長は多いのだそう。

「鶴岡の皆さんは、しっかりインターン生を支援してくださいます。だからこそ、ここで頑張りたい、成長したい!という学生をマッチングさせたいなと思い、私も常に緊張感を持ちながら対応しています。インターン生を迎えると、そのエネルギーが地域全体に広がり、鶴岡でも新しい動きが生まれていることを実感していますから。一方で、すべての企業がインターン生をすぐ受け入れるのは難しいと思います。そのような企業にも大学生との接点をライトな形で作ることができたらいいなと思っています」

何になりたいか、ではなく「自分はどう在りたいか」を考える

地域コーディネーターとして現在活動する伊藤さんはどのような学生時代を過ごしたのでしょうか。

「学生時代に1年間イギリスに留学をしたのですが、奥ゆかしさや、言わなくても分かってもらえる日本人的な考え方が通用しないことを痛感しました。自分の気持ちを伝えなければ、理解してもらえないし、自分から動かなければ何も変わらないんです。自分が外国人としてマイノリティになる経験もあってよかったです。いつもの居心地のいい場所から飛び出してみると、世界が全く違って見えてきます」

伊藤さんは自身の経験から学生に伝えていることがあります。
“今やりたいことが分からなくてもいい、探し続ける”ことです。

「学生さんたちは『将来したいことは?』とか『何になりたい?』と、聞かれ続けていると思います。私自身を振り返ると、その時は将来どうなるかなんて決められなかった。なりたいものは変わるのが当然だから。人との出会いがあって、私は周りに育ててもらって変わってきました。だから、ありたい自分は大事にして、ちゃんと気持ちは声にしたほうがいい。そうすると出会いがあったり、応援してもらえたりするんです。“自分がどうありたいか”がないと、周りに育ててもらえなくなっちゃう。そこは大事にすること。それだけでいいと思います。

人生を楽しむために「一度乗ると決めたら全力で楽しむこと」

「行動に移すまでの迷いはあるけれど、一度決めてしまったら楽しむしかない、っていつも思っています。ジェットコースターに例えると、乗るか乗らないかを決めるのは自分ですが、一度乗ったら降りられない。一度乗ると決めたら全力で楽しむ。これが私のマインドセットです。

『チャンスの神様は前髪しかない』と言います。チャンスかも!って気づいた瞬間に行動を起こして、神様の前髪をつかまないとあっという間に通り過ぎてしまう。そして後ろ髪はないから、もうつかむことはできない。いくつかある選択に悩むかもしれません。迷ったら難しそうなことや面白そうなことを選んでみて。“どっちが正しい”と悩むより、正解・不正解は分からないことが多いのが現実です。だから勇気をもって自分で選んだ道を進んでみましょう。大きく成長できるはずです!」

「一緒に楽しみながら、成長しよう」これを教えてくれるのが、山形で活躍する伊藤さんのインターンシップです。

2023年11月7日

学生の成長をみれる!これがこの仕事の醍醐味

秋田県の県南部である、湯沢雄勝・横手平鹿エリアで、「ワクワクする地域の“みらい”をつくる!」活動をしている、「特定非営利活動法人みらいの学校」。今回はこちらの団体で、副代表理事を兼任しながらコーディネーターとして活動をしている、崎山健治さんをご紹介いたします。
前職では47都道府県を飛び回る営業マンだった崎山さん。そんな崎山さんが、秋田県へ来るきっかけは何だったのか。活動への想いや学生との関わりで生まれたものについて伺っていきたいと思います。

「おもしろそう」から移住を決意

兵庫県西宮市出身の崎山さん。2016年に秋田県へ来るまでは、関西地域で生活をしていました。食品関係の問屋やメーカーで商品企画や営業を担当し、月の半分は出張で全国をまわっているほど、忙しくも充実した暮らしを送っていました。

「日本全国いろんなところへ行きましたが、自分が地方で暮らすという選択肢はなかったんです。でも、地方に行っていろんな人に触れていくなかで、気さくな人柄と仲良くなると深い付き合いをしてくれる人が多くて。それから地方の暮らしに興味をもつようになって、移住を考えるようになりました」。

そんな時に、秋田県羽後町で地域おこし協力隊の募集を見つけます。産業振興に携わってもらえる方という募集要項をみたとき、「これまで培ってきた経験が活かせるのでは」と感じた崎山さんは悩むことなく、応募しました。

「大阪から秋田へ、地域おこし協力隊がきっかけで移住するのが面白いかなって、ちょっとしたノリもありました。知り合いも全然いないところにまずは飛び込んでみて、合わなかったらまた戻ればいいかなという、ライトな考えも持っていました」。

住んでみて感じたことは、都市部で暮らしていたころよりも複雑な人間関係のしがらみが少なく、楽しく暮らせているということ。今は年齢関係なく、友達といえるような関係性を築けていける人たちが多いところが楽しいと感じているそうです。

羽後町の地域おこし協力隊として採用され、2016年5月に正式に着任。最初に任されたのは、7月末にオープンを予定していた道の駅でのお手伝いでした。
「3カ月くらいほぼ出向状態でしたが、道の駅に勤める方々と一緒に仕事をしたり、産直会員さんや事業者さんなど、色んな人と出会う機会がたくさんありました。人間関係をつくりやすい環境だったので、自然と地域に溶け込んでいけましたね」。

道の駅も無事にオープンし、次に任されたのはインターンシップコーディネーターとしての活動でした。羽後町として地域おこし協力隊に取り組んでもらう活動を計画していたことから、崎山さんへも声が掛かりました。行政と連携し、実践型インターンシップを活用した地域コーディネートを行い、地域おこし協力隊の任期3年を迎えます。

任期終了後の2019年に、現在のみらいの学校の代表理事と当時の地方創生担当の役場職員との3人で、「特定非営利活動法人みらいの学校」を立ち上げます。

掛け合わせた事業から生まれるもの

団体として「学生のキャリア形成支援」「メディアを活用した地域のPR」「企業の事業支援」の3つの分野を重視して活動しています。

特徴としては、1つの分野だけで事業を進めるのではなく、3つの分野を掛け合わせ活動しています。

崎山さんが担当する実践型インターンシップは、企業の事業支援の分野で行われ、課題解決につながる伴走支援を目的としています。

「企業がどういうところで困っているのか?その企業に合わせた伴走支援をしています。企業側は、インターンが自社に何を生み出すのか疑問に思うことが多いため、困っていること、解決したいことを丁寧にヒヤリングします。そこから見えてきた課題に対してどのような打ち手が必要かを考え提案します。状況によっては、インターンシップで学生と協働する内容やスキル人材に副業兼業というカタチで携わってもらう内容なども含めます。提案内容は数パターン準備して、先方が状況に合わせて選んでいただけるようにしています」。

支援する企業とは長く伴走して、一緒にしっかりと取り組みたいと考えている崎山さん。現在は、実践型インターンシップ単体で提案しないようにしているそうです。

みらいの学校としても、企業を取材する、「取材型インターン」を実施し、崎山さんが担当として学生を受入して、企業や地域の情報発信を行っています。

学生に向けては、社会や企業、職業、働くといったキャリア形成支援を目的とし、企業側には学生視点での取材による情報発信というかたちで事業に取り組んでいます。
取材型インターンシップの参加者へは、取材やライティングについての基本をレクチャーしてから実践にうつします。

「取材の様子を見ていると、学生なりの視点があって面白いなと思いますね。実際に取材を受けた企業からも、学生が何を知りたいのか?何に興味を持つのか?という新しい発見につながっているとの声をいただきます。取材後、書き上げた記事は、学生インターンと一緒に立ち上げたWebサイト『あきたみらいのデザイン研究所』へ掲載し、発信をしているんです」。

記事となって掲載されることで、企業の情報発信となり広報活動にも繋がっているそうです。

まさに、「学生のキャリア形成」「企業支援」「地域のPR」の3つの分野を掛け合わせた、活動になります。

どう生きていきたいかは自分次第

みらいの学校は、今期で5期目を迎えます。これまでの活動のなかで、印象に残っている出来事を伺いました。

「首都圏に住んでいて、いずれは東北地方に就職をしたいという学生が、もっと東北地方のことが知りたいと、取材型インターンに参加してくれました。このことがきっかけで、インターンが終わった後も、秋田を訪れたり、取材した法人が主催するイベントにも参加してくれていました。ある日、『秋田県の企業に就職が決まったので、秋田に引っ越します』と突然連絡があり、あの時はビックリしたのと心の底から嬉しかったですね」。

関わった人が地域に興味を持ってくれて、その人の成長に関わることができたのが、崎山さん自身、とても印象に残る出来事だったそうです。

「自分との関係性があるというより、インターン先や取材先の企業とコミュニケーションが繋がっている状態が嬉しいですね。学生にとっても、相談できる大人の一人ができて、企業側もずっと連絡をとっているのが嬉しいですね。インターンが終わっても学生たちのその後の動きが見れたりするのは、この事業ならではだなと思っています」。

インターンに興味をもって参加してくれた学生の人たちへ、崎山さんが伝えていることとはなんでしょう。
「その子によって性格は違いますが、研修などを通して話していることは『就職が人生のゴールではないので、自分にはどんな業界が合っているか、どんな会社で働きたいかということだけで就職先を考えず、社会の一員として自分は何がしたいのか考えられるようになってほしい』と伝えています。どういう生き方をしたいのかを考えてほしいなと思いますね」。

5年後、10年後がどうなるか分からないし、人生をどうしていくかは自分次第だと崎山さんは言います。
この地域で楽しく、自分らしく暮らしている崎山さんだからこそ、自分が選択した生き方を胸をはって伝えられるのだと思います。

狭い枠で考えず、選択肢をたくさんもつことで、自分のなかの知識や経験も増えていきます。崎山さんは、失敗できたことが成功だったと感じることが多いそうです。失敗の積み重ねが、必ず最後には自分自身の成長に繋がっていくのだと思います。

最後に、学生に向けて一言いただきました。

「社会人のときより、学生のときの方が自由度は高いと思います。自分の見聞を広げたり、色んな経験をする時間をたくさんつくったほうがいい。いろんなことを選択できる世代なので、思い切って、未知の世界に飛び込んでみるとか。臆せず、何でも挑戦してほしいなと思います」。

2023年3月31日

学生とともにこの町、未来の水産業へ向かって舵をきる

今回ご紹介する地域コーディネーターは、宮城県石巻市を拠点に活動する「一般社団法人フィッシャーマン・ジャパン(以下、フィッシャーマン・ジャパン)」の松本裕也さんです。「コーディネーターという仕事は自分の天職です」。と話す松本さん。地域の問題や地元企業の課題解決のため、学生とともに変化を起こしながら取り組んでいます。
福岡県出身の松本さんが、縁もゆかりもない石巻市で、「なぜ、誰よりも楽しく。誰よりも熱い気持ちを持って行動できるのか?」その本質に迫っていきたいと思います。

水産業の世界へ踏み出す

福岡県の高校を卒業後、大学進学のため東京へ。大学を卒業後は、新卒で採用されたヤフーへ入社。復興支援室への配属が決まり、そのタイミングで石巻市での生活をスタートさせました。

「震災後の石巻市で、ヤフーのメンバーとして何をやるかは、自分で考えて決めなさい。という方針のチームだったので、自分が何をやりたいか、色々考えましたね。この町を良くするための起点となる産業は何だろう?と考えたときに、水産業や漁業にフォーカスすることは、大事なことじゃないかと思ったんです。興味とかではなく、この町にとって本質的に価値があることが水産業であると思いました」。

当時、同じ部署の同僚が中心となり、フィッシャーマン・ジャパンを立ち上げていました。そこに、同じ想いを持った松本さんが加わります。現在は、震災後10年の節目で復興支援室はなくなりましたが、松本さんはヤフーに所属しつつ、フィッシャーマン・ジャパンの活動もしながらダブルワークを行っています。

石巻市では、震災の影響も受け、水産業の衰退や次世代の担い手不足などの課題が加速し、水産業自体がなくなってしまうのでは……。という問題に直面していました。危機感をもった若手漁師、生産者や事業者、事務局としてヤフーの職員がメンバーとなり、2014年に「一般社団法人フィッシャーマン・ジャパン」設立されました。これまで、「きつい、汚い、危険」のイメージとされていた水産業を、「かっこいい、稼げる、革新的」の新3Kに変えて、未来の水産業の形を提案していくことを、企業理念として掲げています。

フィッシャーマン・ジャパンでは、インターンシップを地域の企業や産業を変える起点となる取り組みとして捉えて活動しています。あくまでも「起点をつくること」。そこに重点を置いて、企業へ直接足を運ぶことも多いそうです。

人を巻き込むことで生まれるもの

松本さんが担当するのは、水産加工会社のサポートと若者の人材支援である実践型インターンシップ。
インターンシップのコーディネートを通じて、若い人たちが地元企業へ入っていくことで、企業側へ変化の働きかけを行う。それによって、学生だからこそ言えることや刺激を与えていきながら、変化のきっかけを作っていけるような仕組みを作っています。

「インターンの学生たちには、『全部疑ってかかれ!』と言っています。企業側も正解を分かっていないし、『これってなんの意図?』『本当にいいのか?』と常に疑問をもちながら、変わるバイアスをかけていくことが大事だよ。と伝えています。フィッシャーマンのメンバーとして、水産業を変えるために自分が動いている。という意識をつけて入ってもらっています」。

松本さんからサポートを受けた学生は、現場に入ってからも真摯に取り組む姿勢から、受け入れた企業側からも高い評価を得ています。結果、学生たちのファンになり、フィッシャーマン・ジャパンのこともポジティブに捉えてくれる効果もあるそうです。

学生や企業側からも、熱い信頼を得ている松本さん。話を伺っていると、松本さん独自の人との関わり方に秘密がありました。
「人と関わることがすごく好きなんですよね。学生時代に、自分と関わってくれた大人たちが、仕事に対して情熱を持っていて、すごくかっこよかったんです。自分の悩みや考えも対等に聞いてくれて、そういう人たちがいたおかげで、今の自分があると思っています。自分もそういう人みたいになれるのかな。と思いながらやってみたら、すごくしっくりきたんです。それで今のやり方になっていきましたね」。

松本さんは受け入れた以上、どんな学生でも最後まではり付いて伴走することを心掛けているそうです。それは、プロジェクトだけでなく、プライベートでも。基本的に、インターンできた学生は、期間中シェアハウスで生活をともにします。シェアハウスは、松本さんの仕事場でもあるので、一緒にご飯を食べて夜まで語りあうことも多いとのこと。

「シェアハウスには、必ず学生のコーディネーターを1人おくようにしています。メインコーディネーターは私ですが、一緒にプロジェクトの組成や面談も一緒に行ってもらうので、私の右腕みたいな感じですね。学生のケアやサポートも一緒にやっていますが、あとは学生同士でお互いに自然と刺激を受けて、いい方向に変化していくんです」。

学生にとっても松本さんにとっても、シェアハウスはさまざまなコミュニケーションや、新たな発見が生まれる大切な場所になっています。

ポジティブに人と関わっていく

松本さんにインタビュー中、「コーディネーターのお仕事をしていて、大変と感じることは何ですか?」と伺うと、「大変なことってあるかな……?」としばらく考えていました。

出た答えは、「全員が僕じゃないってことかな」。人と向き合うことに対して、楽しく関わっていきたいという松本さん。ただ、向き合う側の人のなかには、全く違う考えを持つ人や向き合うことに苦手な人など、時間をかけて関係性をつくっていく必要がある人も多いそうです。
「悩ましいなということはたくさんありますが、一喜一憂はしないです。長いスパンで見ると、割とどうにかなると思っています。物事のいい部分しか見えないタイプなので、正直あまり深く悩まないですね」。

一番大切にしている、「人との関わり方」に対しては、コスパやタイムパフォーマンスは、全く考えない。どんなに時間がかかっても、最後まで決して諦めない姿勢が、人を惹きつける魅力なのかもしれません。

今後の目標についても伺いました。
「フィッシャーマン・ジャパンでいうと、若い子たちが企業のなかで中心を担う人として、20人くらいが移住して集まってくれたらいいなと思います。この町の水産系の企業の3分の1くらいに入っていけるような流れになると、企業が変わるエンジンになってくると思うので。まずはそうなるように、若い子たちが働きやすい環境と、変化できるような土壌を整えることは引き続きやっていきたいですね」。

松本さん自身としては、人と関わっていくことや一人一人の人生にとって、ポジティブな存在になることを目標にしているそうです。これは、心の深い部分にある大事にしたい価値観だと言います。

なんでも楽しめる価値観を持てるように

最後に、学生に向けて大切にしてほしいこと、伝えたいメッセージをいただきました。
「学校での生活や普段の生活でも、『これが正しい』と言われて、インプットされることって多いと思うんです。でも、『こうあるべき』というのは一旦おいて、自分がどうありたいか。いいと思うものを素直に良いと言えるようになるためには、どうしたらいいか。まず、自分なりに考えることを大切にしてもらいたいなと思っています。」

松本さんは、学生たちが関わることをしっかりサポートしていくと、企業側が問題意識をもつようになり、町全体にも変化を起こすことができると実感しているそうです。
インターンシップは、フィッシャーマン・ジャパンの事業の一つとして、とても大事な起点となるものになっています。
これからも学生が、自分で考えて選べるような仕組みや、色々な価値観に触れる機会をつくっていくことが、松本さんの使命でもあります。

「学生たちには、『割りと楽しく生きていいんだよ』。と伝えたいです。楽しく生きている大人はいっぱいいるから、そういう大人になってもいい。と知ってもらえたらいいですね。自分がその一人でもあるので(笑)」。

相手と正面から向き合うことをおそれず、でも楽しむことは決して忘れない。
これからも松本さんは、水産業という新たな世界へ興味をもって飛び込んできた学生とともに、この町や水産業へ変化の波を巻き起こしていきます。

2023年3月30日

本気と本気を繋いでいく

今回ご紹介するのは、岩手県ではじめて実践型インターンシップをスタートさせた「NPO法人 wiz(以下、wiz)」で、コーディネーター活動をしている八田浩希さんです。2015年にwizに入職してから、今年でコーディネーター歴は8年目となります。
「何年やっても。やればやるほど、コーディネーターの仕事は難しいと感じます」。と話す八田さん。終始クールで話す一方で、熱い想いを持って取り組んでいる様子が、言葉の節々から伝わってきました。
八田さんの活動について伺いながら、そこに秘められた強い想いを探っていきます。

経験を活かして、次のステージへ

宮城県登米市出身の八田さんは、岩手大学を卒業後、2007年4月から、大学生協事業連合東北地区に採用となり、岩手大学生協で勤務していました。学生のキャリアサポートや新入生サポート長も務め、2011年には福島へ。その後、仙台で商品バイヤーの経験も積みました。
2014年、奥様の転勤を機に岩手へ戻り、転職することを決意します。

「大学生協時代、就職してから苦しんでいる学生たちを何人も見てきました。大学生協職員の立場で、学生を支援する仕事をしてきましたが、企業側に対して、自分が働きかけることは何もできていませんでした。ちょうどその頃、福島での単身赴任を終えて、仙台で家族一緒に暮らしていた時に、妻が岩手に転勤することが決まって。そのきっかけもあって、思い切って環境を変えようと、一緒に岩手へ戻ることに決めました」。

大学生協事業連合を退職し岩手へ戻った八田さんは、今度は企業側に自分がきちんと関わっていける仕事をしてみたい。という思いが強くなり、「岩手県中小企業団体中央会」へ転職をします。若者や女性向けの就活イベントや、若手職員向けの研修の運営に携わり、興味があった企業側の支援について1年間、仕事を通じて経験することができました。

そして、あるイベントでのご縁があり、「NPO法人 wiz」へ2015年4月から所属しています。

wizは、2014年4月1日に法人として設立し、「若手のネットワークで岩手を盛り上げる」というビジョンを掲げて活動しています。
設立メンバーは、東日本大震災がきっかけで繋がり、復興支援活動をしていくなかで、「若者の流失」というのを肌に感じたそうです。

その問題を解決するべく、地方に思いを持つ若者と地方の企業を繋いでいく「インターンシップ」。岩手に行くことはできないけど、岩手を応援したい人。応援してくれる人たちと繋がる「クラウドファンディング」。など、何かしらの想いのある人同士が繋がっていく仕組みを作っています。

岩手でチャレンジしようとしている人、復興に向けて頑張っている人たちがいることを知ってもらう。その中で、若い世代の人たちにも、地元や岩手で暮らしていくことが一つの選択肢になってほしいという想いが込められています。

何事もリアルであれ

八田さんが担うのは、インターンシップのコーディネートです。実践型インターンシップは、1か月から2か月間の期間に様々なプログラムが組まれ、実践していきます。

「この期間って上っ面の関係だけだと、うまくいかないんですよね。学生とは、『本当に何がしたいのか、どんな経験を得たいのか』。企業側には、『学生と一緒に何をやりたいのか』ということを、腹を割って話すことを大事にしています。そこから、本気で一緒にやっていきたいという学生と企業を繋いでいくことが重要だと思っています」。

同じ想いをもつ人同士を繋ぐことに重点を置きながらも、お互いに「win」がある関係性を見出すことも、コーディネーターとしての一つの役割でもあると話す八田さん。

「なかには、学生に何ができるの?という考えを持っている人もいます。『学生を受け入れて、負担だった』と思われてしまったら、結果的に、若者が来るきっかけがなくなってしまいます。学生と一緒に取り組むことで、受け入れた企業にとっても、事業が一歩でも二歩でも進む。というところがないと続けられないですね。企業側も学生側にとってもバリューが大事だと実感しています」。

学生と企業のマッチングまでには、約一か月の間、様々なプロセスをふみます。企業側との打ち合わせや、エントリー希望の学生との個別面談。そこから深堀をしていき、それぞれの意思をしっかり確認したうえで、三者面談を行います。その後、双方合意がとれれば、見事マッチング成立となります。

「ここ最近はコロナ禍が影響し、できることが限られている中で、不安や焦りをもった学生の方がすごく多いなと感じています。『どうにかしていきたい』『とにかくインターンがしたい』という気持ちだけでくると、来ることがゴールになってしまうんですよね。でも企業側は、学生が来たことで、これから一緒に頑張っていこう!というスタートになるんです。
その温度差が発生しないようにしっかり話をして、ひも解いて、その人にとって何がベストなのかを考えています」。

必要であれば、一旦視野を広げてもらうために、色んな情報提供をして違う機会や、他のプログラムを紹介することもあるそうです。一人一人と真摯に向き合い、道筋は照らしながらも、最後は自分で決めてもらうのが、八田さん流。

それは、インターン期間中でも同じです。
「自分で調べる、自分で報連相をする、自分で仮設を立ててやる。自分で考えて決断することを身につけていってほしいなと思いますね。」
これから社会人になり、長い人生を歩んでいくなかで、様々な困難や壁に直面することがたくさんあります。そんな社会の厳しさや環境をリアルに体験してほしい。と八田さんは話します。

八田さんが大事にしている「リアルであること」は、学生のみなさんにも必ず伝えていることでもあります。

「説明会では、『僕らはお客さん扱いしません』と伝えています。世の中、やりやすいようにできていないのが現実。どういう背景があって、どういうチャレンジをしたいのかをちゃんと伝えて、ストーリーを見せるようにしています。セーフティーネット的な安心感はもってもらいつつ、暮らすことも働くことも、リアルに感じてもらうことで、今後の成長にも繋がっていくと信じてやっています」。

wizでは今まで、全国から岩手でチャレンジしてみたい学生を対象に、約400人ほど受け入れていきました。遠くは、沖縄県から参加した人も。関わってきた学生の中で、特に印象に残っているのは、「なかなか成果がでない……」と、苦しんで、もがき続けながらも最後までゴールをした学生だと言います。

その時のその世代、一人一人がどういうモチベーションなのか。どういう不安を持っているのか。「学生」という一つの括りにするのではなく、対一人の人間として、向き合って見ていくことが、難しくもあり面白いところでもあるそうです。

まずは自分が体現していくことで

最後に、今後の目標について伺いました。
「この仕事って、コーディネートという作業が難しいのもありますが、コーディネーターとして飯を食っていく難しさがあると思っています。wizに入った時に、印象に残っている言葉があって。
『自分たちがよれよれのシャツを着て、安い車に乗って、頑張って地方創生活動をしています!と言われても、それを見た若者が、自分もそうなりと思うか?』と。当時は、NPOはボランタリー精神や、稼ぐことよりも社会課題を解決してくこと。という認識でしたが、そこで覆りました。それが自分のなかで、大きく後押しになりましたね」。

何年か仕事をしてみて、家庭とのバランスや稼いでいく仕事にしていけるには、まだまだだと感じている八田さん。

「家庭を大事にして、仕事でもしっかり成果を出して、コーディネーターとして飯を食っていく。まずは自分たちが実践できていないと、若者たちに自信をもって、岩手で働く選択肢をもってもらうことができないなと思っています。そういう姿を、これから岩手を知る人たちや、これから関わってくれる人たちに対して見せていくことが、これからの目標でもありますね」。

まさに、八田さんが今まで経験してきたリアルがあったからこそ、出た答えなのだと思います。
正解がないコーディネーターという仕事だからこそ、一人一人にじっくりと向き合う。そして、「やりたい!!」という想いを繋げる。これからも八田さんはリアルを伝えながら、本気でぶつかっていきます。

2022年5月27日

繋ぐだけではなく、一緒に作りあげていくことが自分の役割

今回ご紹介するのは、福島に住みながら「株式会社バリューシフト」でコーディネーター活動をしている榊裕美(さかきひろみ)さんです。榊さんがコーディネーターとして活動するまでには、様々な試練がありました。自分の想いと現実の違いや社会の厳しさなど、いくつもの壁を乗り越えてきた榊さんの強さを深堀していきます。そして榊さんが、ブレずに持ち続けている想いと、これから新たな環境へと飛び込んでいく学生に向けて伝えたいことを伺いました。

「かっこいい!」と思える大人に出会ったことから

青森県八戸市出身の榊さんは、地元の高校を卒業後、埼玉大学の教育学部に入学しました。榊さんの中にある軸が生まれたきっかけは、大学3年生の卒業論文で「漁業」をテーマに八戸市に住む親戚の漁師にインタビューをしたことが始まりでした。
八戸市は漁業が盛んな漁師町ですが、榊さん自身住んでいた頃は話を聞く機会はなかったそうです。
「インタビュー中、自分がやってきたことを熱く語っていたんです。自分の職業について、いきいきと語る大人の姿に出会うことがなかったので、純粋に『漁師かっこいい!!』と思いましたね」。

仕事に誇りを持って働く大人の姿に、当時学生だった榊さんは衝撃を受けたそうです。
と同時に、漁業は現在右肩下がり、産業も町も衰退していくという現状を知りました。
「どうして、こんなにかっこいい産業が廃れていくのだろう。いつか自分が漁業を通じて、町づくりをしたい」。という想いが、榊さんを突き動かします。

やりたいことをやり続けてみたら

しかし現実は厳しく、漁業に携わりながら教育と町づくりができる就職先が見つからず、大学卒業後は一般企業に就職します。社会人経験を積む中で、もう一度自分の描いていた夢を見直したいという想いが強くなり、退職する決意をします。
大学院に入りながら、漁業と町づくりと教育の可能性を模索しつつ、大学時代に東日本大震災の復興ボランティアで訪れていた福島県いわき市へ再び足を運びました。旅館に住み込みでアルバイトをしながら、地域のイベントに参加したり、農家さんのお手伝いをしてみたり、自分がやれることを、とにかくやってみたそうです。

そんな頑張りが認められ、地域の方から「一緒に事業をやらないか?」と声をかけてもらうことが増えてきました。町づくり事業や漁師の人と合同会社の立ち上げ、クラウドファンディングで魚屋をオープンさせたこともありました。活動期間中はやりたいことに力を注ぐため、大学院を3年間休学することとなりました。

順調に活動が進んでいたところ、急な転機が訪れます。様々な内部事情により、いわき市を離れることに。榊さんは突然の無職となります。
「ずっと、漁業と町づくりと教育がしたいと思って生きてきました。やりたいことから離れた時に、自分の手元に何も残っていなかったんですよね。何の専門家でもないし、走り続けてきただけだったので、またゼロから携わる自信がなかったんです。」
榊さんは、自分に何ができるのだろう?と日々自問自答していたそうです。

「でもやっぱり自分は一次産業や教育、子どもたちと関わっていきたい!」と再確認ができ、その想いを周りのいろんな人へ話してみることにしました。
お金にならなくても、やりたい!やろう!を繰り返してやることによって、少しずつ形となっていきました。

コーディネーター業はマネージャーのような存在

少しずつ軌道に乗り始めた頃、現在のコーディネーターのお仕事へ誘ってくれたのが、八戸市にある株式会社バリューシフトの代表、外和信哉さん。当時榊さんの胸の奥には、地元八戸への想いも捨てきれずにありました。
そんな時に「福島に住みながら、バリューシフトのプロボノとしてコーディネーターの仕事をしてみない?」とのお誘いがあったそうです。
「少しずつどちらも行き来しながらだからこそ、福島と八戸を繋ぐことができていると思っています。いい形で関わらせてもらっているので、なんて贅沢なんだろうと感じています」。今までの福島のご縁を大切にしつつ、故郷の八戸を想いながら活動ができていることが、榊さんは自分のモチベーションに繋がっていると感じているそうです。

コーディネーターのお仕事は初めての榊さん。相談を受けた企業から話を聞き、出てきた課題に対して、コーディネートを介して人材を繋ぐ役割を担っています。
「自分自身、何か特にできるわけでもなくて、でも誰かの役に立ちたいという想いがあります。完全なお節介と思っているのですが、周りの人たちを応援する側が自分には合っていますね」。
コーディテーターという新たな分野に飛び込んで半年の間に、農園や水産加工の会社など4つの会社を担当してきました。
1週間の八戸滞在中、毎日アポイントをとり出向いていた榊さん。企業側からの困りごとの相談からスタートします。課題に応じて、デザイナーや公認会計士、時には大学生のときも。適材適所で人材を紹介しているそうです。
「私は目の前のことしかできないので、一気に解決するというよりは、『一緒にやりながら考えてきましょう』というタイプの人間だと思っています。一緒にやりながら作っていくスタイルでやっています」。

限られた滞在時間のなかで、できる限り走り続けた榊さんですが、福島に戻ると不安を感じることもあるそう。
「本当に私の提案でよかったのか。見えていないところがもっとあるんじゃないか。というもどかしさがありました。でも、だからこそ満たしきれないところをどういう風に変えて、どんな人が関わっていけばいいのかな。と考えることが今は楽しく感じれています」。
4社とも契約が終わった現在も、福島にいながら関わりがあるそうです。
真摯に向き合い一緒に作り上げてきた榊さんだからからこそ、深い繋がりが生まれているのだと思います。

新しいコーディネーターの形を実現させていきたい

今後の目標について伺いました。
「以前は、自分がこうならなきゃいけない。と強く思うあまり焦りを感じていました。今は、福島と八戸の2つの拠点で、いろんな企業さんと関わらせてもらっているからこそ、新しいことが生まれたり、新しい人を繋いだりできていると思っています。他拠点だからこそ、いろんなことが見えてきたのが、私自身すごく自信に繋がっています」。

榊さんは、肩書や業種に捉われない仕事に可能性を感じているとのこと。
「自分も含めて、企業や農家さんのやりたい軸を合わせていけたらいいなと思っています。
そしてタイミングを見ながら、『こういう人がいるよ!』と紹介してかき混ぜて、私も一緒に動きながらみんなで幹と枝を作っていくのが理想ですね。新しいコーディネートの形だと思っています」。

仕事の選択肢は選ぶのではなく、自分で作っていってほしい

一次産業に関心がある学生から、度々相談を受けることがある榊さん。
やる気のある人や興味を持って来てくれた人を、自分の活動に連れて行ったり、訪問先でも紹介したくなるそう。こんな時は、榊さんのお節介センサーが発動します。

そんな榊さんが、学生に向けて伝いたいことを最後にお聞きしました。

「私は一次産業に携わりたいと思ってはいるけど、生産する側にはなれないし、向いていないと思っています。でも、関わる人や農家さんを応援したい。など、『一次産業に携わる関わり方はたくさんあるんだよ』ということを学生のみなさんに伝えたいですね。私のように肩書や名前もない職業でも、確かに一次産業に携わるひとつの仕事なので。いろんな形があるということを、自分が証明できていると感じています」。

今は、自分で納得したことを自分で選んで生きていると実感しているそうです。

まだ見ぬこれからの出会いに、胸を弾ませる榊さん。言葉にできないこと、形がないものだからこそ、どうしていくかは自分次第だと教えてもらいました。
これからも自分らしく、繋ぎ、作り上げていきます。

2022年2月22日

学生が地域にかかわるきっかけ作りは、自分がやるべき仕事

今回、ご紹介するのは、「特定非営利活動法人TATAKIAGE Japan(以下、タタキアゲ)」でインターンシップのコーディネーターをしている森亮太さんです。コーディネーターのほかに、デザイナー、地域おこし協力隊として喫茶店の立ち上げなど、さまざまな活動をされています。忙しい毎日ですが「仕事は面白い!」のだそう。

そんな森さんが、どんな想いを持ってコーディネーターをしているのか。これから一歩を踏み出す学生に伝えたい想いを伺いました。

大学時代の一番の思い出は、いろんな大人に出会ったこと

岐阜県出身の森さんは、高校卒業後、京都の立命館大学に入学。大学時代は、授業や山岳部の活動、友達と楽しく過ごす、一般的な学生生活でした。

森さんの転機は、大学2年生のときに起こった東日本大震災でした。被災地に行って何かできないか考え始めたとき、森さんの住む関西方面からは、福島行きのボランティア便がないことに気がつきます。

「ないなら、自分たちで作ってしまおうって思って。バスを手配したり、大学の仲間に声をかけて福島に向かいました。訪問先の福島県いわき市や楢葉町では、足湯ボランティアや学習支援などをしました」。

設立メンバーの1人として立ち上げた団体は「そよ風届け隊」。
「被災地にそよ風のような心地よい風を吹かせたい」。そんな想いでした。

大学生活の後半は、ボランティアに明け暮れ、卒業までに8年もかかってしまったそうです。

「福島で出会った大人たちと話したり、生き様に出会うことがすごく面白くて。大学生活そっちのけでのめり込みました。それを聞いた大人たちは『ちゃんと大学は卒業しなさいよ』って。じゃあ、とりあえず卒業はしておこうかなっていう感じでした(笑)」。

偶然始めたコーディネーターの仕事

大学を卒業し、26歳で社会人1年目をむかえた森さん。「ボランティアでお世話になった楢葉町で働きたい」と、楢葉町の宿泊施設に勤務しました。清掃事業を担当していましたが、縁があって楢葉町の交流館「ならはキャンパス」のロゴデザインを担当。そこでデザインの奥深さに気づきます。

「このデザインは、何のため?誰のため?どういう目的がある?って、考えながらデザインをするんです。デザイナーという仕事自体が、今ある課題を解決するためにあるのだと、気がついたんです」。

デザインの面白さを知り、デザイナーへの転身を決意。宿泊施設を1年で退職しました。

「ある日、突然『仕事を辞めて、デザイナーになります!』ってFacebookで宣言したんです。それを見た知り合いが『デザイン会社で働いた経験がないのに、デザイン1本では生きていけないでしょ。だから、NPO法人で働きつつ、デザインの仕事をした方がいいよ』って言ってくれて。確かにそうだな、と。そのとき、紹介してもらったタタキアゲに1年契約で就職することになりました」。

タタキアゲでは、地域実践型インターンシップのコーディネーターをする人を探していたということで、インターン事業にかかわります。「最初は、インターンシップの存在さえ知らなかった」と話す森さんですが、1年間の契約を更新し、今もコーディネーターの活動をされています。

コーディネーターの仕事は、親のように支えること

年に2回、行われる実践型インターンシップ。一度に約10人の学生を受け入れます。その学生たちのインターン中のサポートを森さんが行います。

森さんのコーディネーターとしての仕事は、地元の協力企業を探すことから始まります。次にプロジェクト作り、学生の募集・面談。合格した学生のプロジェクト加入まで。さらに、滞在中の学生から毎日送られてくる日報もチェックし、都度返信します。学生にとっては慣れない生活が続くことで、起きる気持ちのアップダウンにも、気を配ります。

移動や住まい、生活の面、必要な身の回りのことなど、細々したことも多いのだそうです。

「コーディネーターは、親みたいだなと思いますね。子どもがいたら、こんな感じかなって。僕が一番にすべきことは、ここに来た学生が、最高のパフォーマンスができるようにサポートすること。そのためなら、なんでもする、という想いです。ここに来たからこそ、体験できることがあるんです」。

すれ違っても、気持ちは理解し合える

インターンに参加した学生が、複数人で同じプロジェクトにかかわると、うまくいかない場合もあるそうです。例えば、性格的にすぐ結論を出して進めたいタイプか、じっくり思考したうえで結論を出したいのか。

「人によって性格も考え方も違う。どの方法も間違いではない。お互いを理解し合い、歩み寄るきっかけを作るために、学生と一緒に話し合うこともあります」。

「人と人なので、うまくいかないこともあります。でも、みんな改善したい意識があるので、しっかりサポートすれば、最終的にちゃんとコミュニケーションできるんですよね。人のサポートは、難しいなと感じながらも、アンテナを張ってやっています」。

森さんの想いは「あくまでも、インターンの主役は学生」。
インターンを通じて、自分の得意・不得意、強さ・弱さに気づき、成長する学生。森さんは、我が子の巣立ちを見守る親のようにバックアップをしています。

学生が地域に飛び込んでみるから、できることがある

「僕が作っているのは、きっかけだけ」と語る森さん。
学生が、より良いパフォーマンスを発揮するために、できる限りのことをします。

「楢葉町には大学がないから、この町で暮らす大学生はいません。でも、こういう小さい町だからインターンで頑張る学生を、受け入れ企業だけではなく、まわりの大人も応援してくれるんですよね。地域にはない、最先端の感覚を学生が持っているから、町に与える影響も大きい。学生が持っている感覚は、地域が求めているものでもあるんですよ」。

地域を知る地元企業と学生の感覚のかけ算で、プロジェクトが想像以上に広がることも。いいプロジェクトが生まれた結果、学生1名が一般企業への就職、1名がフリーランスとなり、楢葉町、富岡町で働くことを決めました。

自分の「過去・現在・未来」を見つめてほしい

最後に、学生に伝えたい想いを森さんにお聞きしました。

「いつも『自分の過去・現在・未来は、ちゃんと見ようね』って伝えています。今のインターンシップの活動だけを考えるのではなく、今が終わってこの先、自分がどうありたいのか。自分の気持ちに向き合って活動してほしいんです。未来を見るためには、今までの自分を知ることが大切です。

そして、人から信頼してもらうためには、今までどんなことを考えて、これからどうしたいかが大事。『今が楽しい』。それだけだと信頼はしてもらえないんです。

学生時代は、今いる場所よりも多様で広い世界に出会えるきっかけはたくさんあります。でも、自分でアクションしないと出会えない。そんな貴重な時期に、いろんな大人の生き様や考え方を知ることはすごくいい経験になるはずです。インターンに来たならやりっぱなしに終わらせず、得た経験を会社につなげてほしいですね」。

――最後に
大学時代の多様な出会いに価値を感じる森さんだからこそ、伝えられる言葉なのだと感じました。「学生が地域にかかわるきっかけ作りは、自分がやるべき仕事」。
導かれるように、今は出会いを作る立場となっています。